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2011年という年
そして気がつけば12月も暮れかけています。今年を振り返ると「途方もない」という言葉がなんか自分としてはしっくり来ます。と同時に、途方も無くてもなんてでも、途方に暮れている場合ではないということも同時に学んだ気もします。出来ないことを嘆くのではなく、出来ることをしっかりとやり切る。その大切さを改めて感じました。そして、人との繋がりというか、自分という存在が如何に色々な人に支えられているのか、ということも感じた一年でした。
ニュースで鎌倉市の津波の最大到達地点の割り出しに関して、鎌倉大仏まで津波が来たことを示す古文書の存在を利用しているという話があった。ふと思ったのは、私たちはもう少し歴史に謙虚に対応する必要があるのだろうなということ。網野さんの『日本の歴史を読み直す』を読んだこともきっかけなのですが。諸説あるのは承知の上だけれども、坂の上の雲の前の時代だって、大河ドラマだけではなくて教科書の歴史としても、輝かせることが必要なのではないか?ということはちょっと思いました。中世が貧しく、封建社会は悪というか少なくとも前"近代的"で、という視点はそれはそれで、明治という時代の言わば張り裂けそうなテンションを無視して盲目的に近代を受け入れてし過ぎやしないかと。別にだから江戸時代に戻れなんてことではないのですが笑、考えようによってはフランス革命以降の"市民社会"というものをもし、遂行な理念だと据えるにしても、だからといって、家父長制や重農主義的な見方のみで、つまりヨーロッパの歴史を無理矢理、今でさえ、日本に当てはめて、その発展段階を見て取るのは最早限界ではないかと、言う気もします。
史実はかなり解釈によるところが大きいのだろうとは思いますが、もし目指すところが共存共栄であると言い切れるなら、日本の歴史は示唆に富む「発見」が世界的に見ても沢山あるのではないかという気がします。
グローバル化は、国内で見られるところのファスト風土化と似た側面を持っていると思うのですが、結局問われるのは如何にファスト風土化するかではなく、ローカライズする点であり、もっと言えば結局のところアイデンティティに行き着く気がします。そしてそのアイデンティティは、社会と対置せざるを得ないものだし、だからこそ、歴史にオーバーラップするところは大きいのではないかと。第二次大戦を含めた近現代史と、それ以前との歴史を超克すること、そしてその連続性を明治の目ではなくて、今のこのグローバル化した社会の中で位置づけた時、日本の歴史は改めて世界史の中で位置づけられるのではないかと期待します。それはとどのつまり、地震も含めた自然との付き合い方と、言わば畏怖の視点を持たせるものになると思いますし、だからこそ、良い意味で自身を持って謙虚になれることもあるのではないかと言う気がしました。日本という社会が何かユニークなのだとすれば、それはどうしたってよくも悪くも、日本の歴史を包含しているからで、その評価は、本来もう少し多様性があってもいいのではないかという気がします。まー今思えば、聖徳太子はいないかもしれない、と言う日本史の先生との出会いがこういう自由奔放な性格を定義づけたのかもしれませんが・・・。
今年もお世話になりました。どうぞ皆様よいお年をお迎えください☆
ニュースで鎌倉市の津波の最大到達地点の割り出しに関して、鎌倉大仏まで津波が来たことを示す古文書の存在を利用しているという話があった。ふと思ったのは、私たちはもう少し歴史に謙虚に対応する必要があるのだろうなということ。網野さんの『日本の歴史を読み直す』を読んだこともきっかけなのですが。諸説あるのは承知の上だけれども、坂の上の雲の前の時代だって、大河ドラマだけではなくて教科書の歴史としても、輝かせることが必要なのではないか?ということはちょっと思いました。中世が貧しく、封建社会は悪というか少なくとも前"近代的"で、という視点はそれはそれで、明治という時代の言わば張り裂けそうなテンションを無視して盲目的に近代を受け入れてし過ぎやしないかと。別にだから江戸時代に戻れなんてことではないのですが笑、考えようによってはフランス革命以降の"市民社会"というものをもし、遂行な理念だと据えるにしても、だからといって、家父長制や重農主義的な見方のみで、つまりヨーロッパの歴史を無理矢理、今でさえ、日本に当てはめて、その発展段階を見て取るのは最早限界ではないかと、言う気もします。
史実はかなり解釈によるところが大きいのだろうとは思いますが、もし目指すところが共存共栄であると言い切れるなら、日本の歴史は示唆に富む「発見」が世界的に見ても沢山あるのではないかという気がします。
グローバル化は、国内で見られるところのファスト風土化と似た側面を持っていると思うのですが、結局問われるのは如何にファスト風土化するかではなく、ローカライズする点であり、もっと言えば結局のところアイデンティティに行き着く気がします。そしてそのアイデンティティは、社会と対置せざるを得ないものだし、だからこそ、歴史にオーバーラップするところは大きいのではないかと。第二次大戦を含めた近現代史と、それ以前との歴史を超克すること、そしてその連続性を明治の目ではなくて、今のこのグローバル化した社会の中で位置づけた時、日本の歴史は改めて世界史の中で位置づけられるのではないかと期待します。それはとどのつまり、地震も含めた自然との付き合い方と、言わば畏怖の視点を持たせるものになると思いますし、だからこそ、良い意味で自身を持って謙虚になれることもあるのではないかと言う気がしました。日本という社会が何かユニークなのだとすれば、それはどうしたってよくも悪くも、日本の歴史を包含しているからで、その評価は、本来もう少し多様性があってもいいのではないかという気がします。まー今思えば、聖徳太子はいないかもしれない、と言う日本史の先生との出会いがこういう自由奔放な性格を定義づけたのかもしれませんが・・・。
今年もお世話になりました。どうぞ皆様よいお年をお迎えください☆
日本のデザイン
なんと、、、10月は一度もブログを更新しなかった。時間が無かったのとは違うのだけれど、何かアウトプットすることが億劫だったのかな。FBやらtwitterやら別のメディアを利用していたということもあるのかもしれない。
ま、気を取り直して。ご愛読有り難うございます。
さて、『日本のデザイン』を読みました。久々の原研哉。思えば、『デザインのデザイン』を読んで、「欲望のエデュケーション」という言葉に出会い、なるほど確かに、マーケティングを精緻に行った結果、日本の車はある意味個性を失っている、つまり仮に日本車に個性がないと言うのであれば、それは日本人は車に対してあまりそういうデザインを求めていないからだ、という考え方に共感を覚えた訳ですが、あれから、もう数年の日が流れているのですね。さて、あまりの日本語入力の反応の悪さにATOKを入れてみました。あ、原研哉もようやくちゃんと出てきた笑。
さて、この「欲望のエデュケーション」、2003年に出版された『デザインのデザイン』の中では、日本車のデザインに対しては、ポジティブに評価していたし、同時にその日本人の感性も必ずしも否定的ではなかったと思う。だけれども、デザインという側面でそれをとらえたときには、たとえば高級セダン市場を見てみて、「こういうクラスのクルマに対する日本人の意識水準がドイツ、ヨーロッパに及んでいないことだろう」(p.136)というコメントも併記されており、「欲望のエデュケーション」という語感から言えば、欲望の質を高めること、そのためにデザインはもう少し挑戦;教育するという側面も必要ではないかという自制的な視点を持っていたと思う。勿論、『デザインのデザイン』が「デザイン」を「デザイン」するというメタ概念だとしても、テーマはデザインであり、当時、この指摘は十分に意味があったと思う。
そして、8年後、『日本のデザイン』の中で、当時触れられていた「欲望のエデュケーション」という言説は、その意味を若干異にしていると感じた。別に原研哉に変わっているじゃないか!と言いたいわけではなく、確かに時代が変化している、社会の方が変化したことに合わせている、と言えるのだろう。そここそが、「アート」とは異なって「デザイン」が「デザイン」足るところだとは思う。
改めてクルマをテーマに見てみると、原研哉は、クルマは日本ではステータスではなくて手段だと、従って、ダイハツのタントや、日産のキューブのように、最大限の空間性を持った燃費が良い自動車だと言うことで、まさに積極的に評価している。そして、「賢い小ささ」は、GPSと結びついた交通システムなどスマートシティといったプラットフォームに昇華することで、更に日本らしさの発展系になり得るのではないか?ということで、むしろ見かけの格好いいという「デザイン」よりも、実利はもちろんのこと、更に大きな仕組みまで含めたデザインが日本のデザインではないか?と問題提起をしていて興味深かった。
その通り、だとも思う。しかし敢えて言えば、日本が「進んでいる」ということは本当にそうなのか?という気もする。確かに引き算の美学、或いはシンプルさ、それは日本の良さなのかもしれないけれども、江戸時代の浮世絵を見て、そこに「羊羹」的な意味合いを敢えて見て取るべきなのだろうか?
或いは、「鎖国」的江戸時代観から、近代を評価してしまうことで、本当は色彩があった、もう少し言えばダイバシティ(国内的には個性ある藩制度並びに将軍と天皇、国際的にも管理はされていたものの実態のあった国際貿易)をやや、シンプルという名の白黒の世界で見てしまわないだろうか?という危惧がある。もしかしたら、日本が「進んでいる」という時代の単線的なイメージではなくて、それぞれバラバラな方向で且つ、バラバラなことをどう切ってみていくのかという複眼性が、実はリスク分散みたいな話にもなるのかなという気もする。
FB等のソーシャルメディア等も含めた射程を持って、デザインだと言えたら、もう少しジョブズの意義も見いだせたら、日本のデザインは変わるだろうか?このプロダクトに完全に引きずられた「デザイン」、それはそれで意味があるのだろうけれども、「クルマ」からではなく、「生活」や「生き方」みたいな視点から「クルマ」を定義できたとき、確かに日本のデザインは一歩前に進めるのかもしれませんね。
ま、気を取り直して。ご愛読有り難うございます。
さて、『日本のデザイン』を読みました。久々の原研哉。思えば、『デザインのデザイン』を読んで、「欲望のエデュケーション」という言葉に出会い、なるほど確かに、マーケティングを精緻に行った結果、日本の車はある意味個性を失っている、つまり仮に日本車に個性がないと言うのであれば、それは日本人は車に対してあまりそういうデザインを求めていないからだ、という考え方に共感を覚えた訳ですが、あれから、もう数年の日が流れているのですね。さて、あまりの日本語入力の反応の悪さにATOKを入れてみました。あ、原研哉もようやくちゃんと出てきた笑。
さて、この「欲望のエデュケーション」、2003年に出版された『デザインのデザイン』の中では、日本車のデザインに対しては、ポジティブに評価していたし、同時にその日本人の感性も必ずしも否定的ではなかったと思う。だけれども、デザインという側面でそれをとらえたときには、たとえば高級セダン市場を見てみて、「こういうクラスのクルマに対する日本人の意識水準がドイツ、ヨーロッパに及んでいないことだろう」(p.136)というコメントも併記されており、「欲望のエデュケーション」という語感から言えば、欲望の質を高めること、そのためにデザインはもう少し挑戦;教育するという側面も必要ではないかという自制的な視点を持っていたと思う。勿論、『デザインのデザイン』が「デザイン」を「デザイン」するというメタ概念だとしても、テーマはデザインであり、当時、この指摘は十分に意味があったと思う。
そして、8年後、『日本のデザイン』の中で、当時触れられていた「欲望のエデュケーション」という言説は、その意味を若干異にしていると感じた。別に原研哉に変わっているじゃないか!と言いたいわけではなく、確かに時代が変化している、社会の方が変化したことに合わせている、と言えるのだろう。そここそが、「アート」とは異なって「デザイン」が「デザイン」足るところだとは思う。
改めてクルマをテーマに見てみると、原研哉は、クルマは日本ではステータスではなくて手段だと、従って、ダイハツのタントや、日産のキューブのように、最大限の空間性を持った燃費が良い自動車だと言うことで、まさに積極的に評価している。そして、「賢い小ささ」は、GPSと結びついた交通システムなどスマートシティといったプラットフォームに昇華することで、更に日本らしさの発展系になり得るのではないか?ということで、むしろ見かけの格好いいという「デザイン」よりも、実利はもちろんのこと、更に大きな仕組みまで含めたデザインが日本のデザインではないか?と問題提起をしていて興味深かった。
その通り、だとも思う。しかし敢えて言えば、日本が「進んでいる」ということは本当にそうなのか?という気もする。確かに引き算の美学、或いはシンプルさ、それは日本の良さなのかもしれないけれども、江戸時代の浮世絵を見て、そこに「羊羹」的な意味合いを敢えて見て取るべきなのだろうか?
或いは、「鎖国」的江戸時代観から、近代を評価してしまうことで、本当は色彩があった、もう少し言えばダイバシティ(国内的には個性ある藩制度並びに将軍と天皇、国際的にも管理はされていたものの実態のあった国際貿易)をやや、シンプルという名の白黒の世界で見てしまわないだろうか?という危惧がある。もしかしたら、日本が「進んでいる」という時代の単線的なイメージではなくて、それぞれバラバラな方向で且つ、バラバラなことをどう切ってみていくのかという複眼性が、実はリスク分散みたいな話にもなるのかなという気もする。
FB等のソーシャルメディア等も含めた射程を持って、デザインだと言えたら、もう少しジョブズの意義も見いだせたら、日本のデザインは変わるだろうか?このプロダクトに完全に引きずられた「デザイン」、それはそれで意味があるのだろうけれども、「クルマ」からではなく、「生活」や「生き方」みたいな視点から「クルマ」を定義できたとき、確かに日本のデザインは一歩前に進めるのかもしれませんね。
メタボリズムという政治

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」というマルクスを引いて、壇上の八束はじめ、レムコースハース、御厨貴、東浩紀に対して、何故メタボリズムを笑劇として見ないのか?と挑発する磯崎新。
初めて生でレムコールハースを見に行った今回の森美術館のパブリックプログラム。9月17日かたスタートした「メタボリズムの未来都市展」のこけら落とし講演という位置づけ。ネイダー・ヴォスーギアンがいなかったためにやや「相対化」というところは弱くなってしまったと思うけれども、それでも現代の「前衛」たるスピーカーの持つ熱量に対して、主体/客体を超えた一体感が会場にはあったと思う。
それは、何故か?「答え」探しだったというほど分かりやすい話でもなかった。かといって、過去をどう定義するのか?ということがテーマでもなかった。ただ、未来を語る勇気を持つ必要性、それがテーマではなかったかと思うけれども、少なくともその点について言えば、思ったよりは東浩紀にせよ御厨貴にせよ、「前衛」ではなかった点が意外だった。『思想地図』の第2号もはっきり言えば結局安易なセンチメンタリズムが前面に出ただけの極めて自己満足な仕上がりになってしまっている。しかし、それは確かに最早知識人はいらない、という東なりの決意表明だったのかもしれない。内容は兎に角、石原作家都知事、猪瀬作家副知事という状態は、知識人とは別の文化人と言ってしまえば単純だけれども、表現という点について、どこか響くことがあってこそな現代の空気を描写していると言えるのかもしれない。
だからこそなのか、例えば建築家の言葉を、特にレムコールハースの言葉を聞いてみたかった。それは建築が実際にそこに出来たことのインパクトは、決して小さくないことを、ある意味メタボリズム運動を通しても見て取れるからだ。建築家の言葉の方が思想家と名乗る人の言葉より思慮深く感じてしまう現在に、知識人の衰退というよりは、言葉の力のなさに改めて驚く。
さて前置きはこの程度にして、シンポジウムの内容。軸としては確かに2つあったと思う。1つはメタボリズムは政治との蜜月によって日本では日の目を見たと言えるかどうか?2つ目はメタボリズムと政治を結びつけた媒体もしくは社会的な背景はなんだったのか?、このテーマについて、日本の特異性を海外との比較という視点でレムコールハースが引き受け、歴史という側面から御厨貴が論じ、東浩紀が現在から述べる、といった展開だったと総括出来ると思う。
レムコールハースがそもそもメタボリズムムーブメントに興味を持ったのは、近代以降で非西洋の初めて一定の影響力を持った建築運動だったからだと、そしてそれは戦後の焼け野原に対して、「未来」であったことが実は大きいのではないかと思う。戦後のドイツは、まず反省があったと。そして国内に分断という楔が打たれていた状態であったのに対して、日本は何よりもまず占領され、朝鮮特需等冷戦構造の中でむしろ未来を先に語れたのだろうと思う。ドイツはむしろ瓦礫をもう一度積み上げて過去と未来を繋ごうとしたけれども、そこが明治の超克なのか、日本はむしろ、過去を否定して未来をある種「安易」に語ることが出来る土壌があった、つまり歴史が断絶していたところに、メタボリズムムーブメントをむしろ受け入れる余地があったのだと。
そして御厨によれば、それは実際に「国土計画」という言葉にリアリティをもって体現され、下河辺淳という近現代史では珍しく、一貫して、日本の開発計画に関わって来た官僚というある種のパトロンを得て、メタボリズムは公共建築や都市ビジョンの中に取り込まれたという側面があったことを承認する。これは、戦前の結論であった植民地なしには日本は生きて行けないという資源ナショナリズム等の概念を、帝国主義的な概念なく日本国内で自活しなくては行けないという官僚の危機感とも言えるし、その体制的な視点という意味では戦前を引きずっているとも定義付けられるともしている。
東浩紀は、一連のメタボリズムムーブメントを媒介した「メディア」について問題提起をする。つまり、現代と比較すれば何故、官僚はメタボリズムを発見し、且つ一定の国民的同意を得ることに成功したのかと。結局この問題的が、国家が未来を語ることにリアリティのあった時代という当時と、未来を語る国家の恥ずかしさという現代との、社会的背景の違い、という結論への補助線と言えると思う。つまり当時は、マスメディアがメディアの主流であったし、さすがに戦争への強烈な反省の中で、例えば市民という言葉に力があった時代背景において、リアリティ即ち信頼がそこにはあったのだと。従って、マスメディアを通して建築家が発言することで、充分にそれは国家へも届いたし、国家も国家として未来を語る中で、一定のリアリティ;信頼があったのだろうと。
では現在は?
現在という空間性でさえ、本来は相対的なのだろう。だとすれば進化なのかは措いておいても少なくとも、過去と未来とに対して対置することで初めて現在を定義し、且つ現在の課題を把握出来るのではないかと思う。その点でメタボリズムの描いた都市像が、結局の所攻殻機動隊の中にあるところにある種の恐ろしさを感じる。しかし、未来を語らないこと、このことは確かに複雑な現代社会において(しかし、何故江戸時代より今の方が複雑だと言えるのか?とも思うけれども)何か責任を放棄しているような気もする。もし、人口増或は伊勢湾台風の被害に対する1つのビジョンがメタボリズムムーブメントだとしたら、人口減或は今回の震災に対して、改めてビジョンを、未来を提案することが必要な場面なのだろうと思う。もちろん、今やらなくてはいけないことはあるけれども、そのことと未来を語らなくて良いこととは別問題だと思う。考えようによってはメタボリズムを現代の日本は上手く現実に適応させて実現して来たとも言えるのではないかと。しかし、その思想的背景であり、社会的背景が現代では異なる。だから、確かに単純な評価では、笑劇になってしまうことは否めない。つまり、何が未来なのかを改めて語ることがやはり必要なのだろう。
しかし、本当に興味深いテーマだった。ここでも問題なのが「未来」「メディア」「戦略」であったことは1つの偶然なのだろうか・・・。
屋形船



屋形船。夜は夜景が奇麗。海から見るとまた違った東京を感じられますね。カラフルな電飾も含めて何だか新しいと言えば新しいのですが、屋形船という響きを思うと、とってもトラディッショナルとも言えるし、面白い景観だと思う。
フクギ並木



備瀬のフクギ並木。伺ったのは随分前なのですが。ふと思い出したので。なんか夢のような景色ですね。
菊とポケモンを読みました

Millennial Monsters/Japanese toys and the global imagination
Author/Anne Allison
ということで、邦題はかなり意訳されていますが、作者のアンアリスンは、「ルースベネティクト」とは立場も違うので、『菊と刀』から題名を取られたことは戸惑いがあったということが述べられています。何が違うのか?もちろん敵国として、その調査をしたベネディクトとはスタンスが違う、ということは勿論そうだと。そして何よりの違いは、ポケモンを含めた「日本的」(若しくは非アメリカ的)な価値観がアメリカで、自覚的に受け入れられている時代背景こそが最も違う点なのだろうし、そもそもそれが本書の主題であると感じる。
余談だけれども先日、秋葉原へ初訪問。いや、感覚的には初上陸といっても過言でもないかもしれない。それ位、ほとんど海外旅行へ行って来たくらいの感覚に陥った。その理由は、差異と生態系がそこにあったからだと思う。単に違いだけだったら、それは例えばTDLに行っても一緒かもしれない。だけど、それ以上に、1つの価値体系に定義付けられた国とでも言える、領土/国民/共同の幻想、がそこにはあったように思えた。
しかし、その差異は、明らかに違うこと、を自発的に内包していたし、だからこそビジネスの面でも交流の面でも、生態系が成り立っているのだと思う。最初から「異なる」ことを目的にしたとでも言うべきなのか。では何と異なっているのか?
それを「現実」と言ってしまうのは、実態と違う気がした。むしろ、「現実」は秋葉原にあるのではないかというのが素朴な印象。ある種、自立したモラルによって支えられているとでも言える社会は、喧噪もなく、平和そのものと言えなくもない。安易に秋葉原を否定的な言説で定義することは、余程現実社会に対するバイアスがかかっていると思う。
しかしそれでも、やっぱり秋葉原は浮遊している。ハイブリッドな日本と言っても良いかもしれない。これは大変だと思った。考えようによっては日本のシリコンバレーとでも言えるかもしれない。果たして旅館、カプセルホテル、ビジネスホテルとか、居酒屋なんかにに並ぶ日本を代表する業態としてメイド喫茶はあるかもしれない。
そこにあるのは、ただひたすらに「平和」を前提にした、「平和」のための価値観ではないか?という気さえした。そこでは誰も傷つかず、誰も傷つけないことが守るべきルールではないかと。この価値観が全てとは言わないけれど、ピカチュウの可愛さにも繋がる日本の価値観の1つなのかなと。
情報が行き届き、ぱっと見ただけでは、ロンドンなのか、シンガポールなのか、東京なのか、分からないような空間性の中で、異質な場所は必ず出てくるし、むしろそこにこそ、その国や街の文化がにじみ出てくると思う。商業ベースでは、この価値観を売り込みながら、そう遠くないうちに、世代の交代と共に秋葉原こそが、東京の中心になる日が来る気もする。
だとしたら、次はなんなのか?地震と原発問題から敢えて言えばこれまでの自身が瓦礫と化した中で、海外に出れば良いということよりはもう少し手前に、我々自身を見直して、新しいまたポップカルチャーを生むことに目を向けても良いのかなと思う。
『12万円で世界を歩く』を読んだ。

こちらも『ニッポンの海外旅行』からの一冊。『何でも見てやろう』同様に日本橋の丸善3階で発見。しかし、よくよく考えると沢木耕太郎の『深夜特急』は読もうと思ったのに何故これらの2冊については有名?なのにこれまで全く気づかなかったのか少々不思議ではあります。
さて、読んでみました。写真も多く、臨場感の伝わる内容。ヒルの話はなんか読んでてあちこち痒くなりました。週刊朝日の企画モノで、12万円(たまにオーバーする)である地域を旅行するというもの。週刊誌に連載ということもあって小気味好い展開であることは確かにその通り。
しかし、『深夜特急』や『何でも見てやろう』に比べて、ある意味プロフェッショナルというか、逆に言うと目的が最初から明確であるため、例えばスケジュール等については厳格だし、言わば出張と言えなくもない。だから旅行中の苦労も確かに厳しいこともあったのだとは思えるのだけれど、どうしてもまるでテレビを見ているような感覚になってしまう。自分の問題とは思えないとでも言えば良いのだろうか。
旅行ってそういうものなのかな〜。そうだから旅行ではないのだろやっぱり。だから好感度みたいな視点で言うと今ひとつ、ということになってしまう。そして、何だかこの商業主義の旅行スタイルがやたらとテレビで流されてしまうことが、1つ旅行の面白さをそいでしまっているのかもしれないという気がした。実は希少な情報とは旅行に行った動機だったり、情報性ではなくて、その人がそこで本当に感じたことだったりするのかなと思った。別に人間なんて目の前にエッフェル塔があっても、実は東京タワーのことを考えていたりするものだっていう気もするし。そういう旅行の捉え方が、なんか、あそこに行けばこれを食べなきゃ行けないとか、或は12万円であることが目的になってしまうような、そういう時代のスタートとなっているのがこの一冊なのかもしれない。ちょうどバブル前夜とでも言うべきなのか。或いは、こうも言えるのかも。それ位旅行という娯楽が相対化されてしまって賞賛を得るためには何らかラベルが必要になってしまったと。
何でも見てやろう

『ニッポンの海外旅行』を読んで、ずっと読もうと思っていたのですが、何故か?なかなか本屋においていなくて、amazonで買うことは忘れていて、という日々が続いていたのですが、たまたま日本橋の丸善の3階に夏休みだからなのか、旅行記コーナーが出来ていて、そこに平積みされていて、ようやく購入に至りました。結構細かい字で450ページなので、最近の信じられない程薄い新書と比べると、かなりボリュームがあります。もちろん、固い話ではないので、どんどん、がんがんと読んで行けるので、苦にはなりません。
なるほど、確かに作者の小田実のその後の行動を見たとき、ともすれば「偏向者」というような評価も出来るのかもしれないけれど、でも、もっと素直に本書は読んでも良いのではないかと思う。
この本は確かに小田実がアメリカへ留学していたその時感じたこと、そして留学後に日本へ帰ってくる迄の深夜特急逆バージョンということで、「外国」でのことを書いているけれども、でも、実際には「日本」を描いていると言った方が正しい。沢木耕太郎が深夜特急でそれは言わば「自分探し」だったのだとすれば、小田実は「日本探し」をしているように感じた。やはり「敗戦」がまだ身近にあり、冷戦が構築されていくことを日に日に感じる中で、「日本」という共同体が明確に感じられたのだろうなと思う。
「何でも見てやろう」とは、薄々感じていたのであろう圧倒的に豊かであるアメリカの「矛盾」であり、日本も結果として良くやっているよね?という答え合わせというかそういう感覚もあったのではないかと思う。そして究極的にはアメリカが抱えている課題は、将来日本が抱えることにもなるのだろうなという予測もあったのではないかと。
三浦展の日本代表をサッカーで応援するところからまた、日本という共同体がイメージされるようになったというところが今の空気としてあるなら、そしてこの震災でなおさら「日本」というストーリーが語られるのだとするならば、我々は今度は「何でも見てやろう」と海外に行けば良い、ということではなくて、自分で見いだすことが求められる時代に生きているのだと思う。
さて、そんな時代の海外旅行とはなんなのか?サブテーマとしてはそんなことを考えながら少し東南アジアを回っていたのでした。
野毛

再びの野毛へ。
1.una casa de gb gb El Nubichinom
地ビールを頂きました。青いサイダービールとスタウトを。雰囲気も良く美味しくぐびぐびとまずは再開の一杯を頂きました。
2.栄屋
そして恒例の栄屋で岩牡蠣と穴子の天ぷら。何度食べても美味しい。ほくほくです。
3.浜とん
浅草橋の西口やきとんの暖簾分け。安くて美味しい。皿軟骨に出会えます。
武蔵屋
伝説の武蔵屋へ訪問したのですが残念!やってませんでした。
4.浜覚
浜覚では、こちらも定番の淡路島産のタマネギの丸焼きを頂きました。甘くてホクホクです。
5.ホッピー仙人
そしてホッピー仙人でのどを再び潤します。乾杯の一体感で心も満たされます。
6.インフェルノ
更に今回は攻めます。インフェルノ。はっきり言ってどこにあるのか分からないというか、かなり細い路地にあります。ご常連とも盛り上がり野毛を満喫。
7.Movie Star
最後は締めにナポリタンを頂きました。こちらもホント自分では絶対に入れないお店でしたが、ご案内頂き有り難うございました。
ということで。。。全部で7軒巡って参りました。いや、野毛、ホント奥が深いです。これだけ行ってもまだまだ知らないお店だらけというのが信じられません。ほとんどチェーン店も見当たらず。日本橋紅とん位でしょうか。路地はどこも混んでいるという感じはしないのですが、お店はそれなりにご常連で埋まっていて、結構入れないお店も続出していました。野毛を見ていると口コミパワーというか、いわば1つのデスティネーションになっている、そういう気がします。
そしてシンガポールシリーズの続きで見ると、ギャップが凄いですね。
Marinabay Sandsを見て感じたこと

Marinabay Sands
しかし今見ても信じられないような景観です。Live Singapore Project by MIT。SCIENTIFIC AMERICANに紹介されていたのですが、何だかある種ホントおいかれてしまっているという危機感というか、そういうものを感じます。
とは言え一方で、結局何がシンガポールらしいのか?という所に対してはそれはそれで大きな悩みを抱えているのではないか、という気もしました。一体シンガポールとはなんなのか?理念が支える都市国家を体現したこれらのオブジェは、将来、例えば100年後にどう評価されるのか?勿論そんな長期的なことよりももう少し中期的な具体的なイシューを解決して行くことこそが大切だというのはその通りなのですが。
思わず現地で買ってしまった一冊の"Heart Work2"。EDB(シンガポール経済開発庁)がこの50年間どのような施策を打って来て今後どういうフロンティアがあると考えられるのか、というのを纏めた一冊。この中でシンガポール観光局(Singapore Tourism Board)CEOのAw Kah Peng氏の章にある"It all started with destination marketing."(p.148)という記載には改めてハッとする。そして、日本の借景のアイデアを活かして土地資源の少ないシンガポールは、インドネシアのビンタン島等を巻き込んでそのディスティネーション性を確実に成長させて行くという視点。そして、BT/MICEに力を入れた後、昨今は教育と医療ツーリズム
。さらにこのカジノ。今年の9月に開催される予定のF1を夜、市内で行うというエキサイティングなイベントも毎年開催されるという効果を考えれば、何故東京は、オリンピックに固執するのかという気もしてしまう。
確実に戦略を持って、その計画を実行して行く姿には本当に日本も学ぶことが多いなと思う。
しかし、それでもTravel & Tourism Competitiveness Report 2011を見てみると、確かにシンガポールは総合ランキングで10位、日本(東京ではないですが)22位ということではあるのですが、何と言っても文化は12位、自然では36位に対してシンガポールは文化30位、自然96位と、ポテンシャルはあるのですが、人材や政策では軒並み低いランキングとなっていることが響いているということを考えると、変えられるもの;改善出来るというように感じます。
日本はシンガポールに学ぶことで、色々現実的な課題が見えてくることもあるのではないかと改めて思う所です。コンテンツは充実している訳ですから。しかしながら、Affinity for Travel & Tourism;親近感では131位。ホント改善のしどころ満載ですね。もちろんビザの問題とか受け入れとかそういうところも含めてなのですが。
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